IPU・環太平洋大学 校友会

2023年02月27日

先生方の応援もあって今ここにいられるので、感謝しかありません。

アスリート

環太平洋大学体育学部健康科学科 助手

東千尋あずま ちひろ さん

卒業年2019年卒業【9期】
学部学科体育学部健康科学科
出身校岡山市立岡山後楽館高等学校

1996年岡山市生まれ、岡山市在住。2015年、環太平洋大学体育学部健康科学科入学、2019年卒業。5歳でアグレッシブインラインスケートを始めた。「Chazsands invitational 2010」「Winter clash 2011」「Pow-wow 2014/2015」など、数々の国際大会で勝利を収める。ローラースポーツの世界選手権(World Roller Games)Roller Freestyle部門にて、第1回大会である2017年から2019・2022年と3連覇。2017年〜2021年「岡山市人見絹枝スポーツ顕彰」受賞。

アグレッシブインラインスケートで、世界のトッププレイヤーである東千尋さん。

難易度の高い技を次々と決め颯爽と滑る姿に、世界中から感嘆の声が寄せられています。アグレッシブインラインスケートで世界選手権3連覇を達成した東さんに、スケートを続けるにあたり大変だったことや、学生時代、仕事やスケートの今後について、インタビューしました。

練習場所を確保するために奮闘


Q5歳でインラインスケートをはじめたとのことですが、それからどのように活動されてきましたか?

当時は岡山市に「アクションスポーツパーク岡山」通称「ASPO(アスポ)」という、アジア最大級のスケートパークがありました。10年間は、ASPOでスケート仲間やそこで出会った師匠に教えてもらいながら、滑っていました。

中学2年生の時に、来年の6月でASPOが閉鎖すると聞いたんです。存続のために署名活動などをしましたが、思いが届かず閉鎖してしまって。そこから約1年間は、練習施設が岡山県にない状態でした。

同世代のスケート仲間も一気にやめてしまいました。師匠や先輩と月2回ほど県外のパークに行ったり、当時はストリートに出たりしていましたが、なかなか練習ができない状態。
(ストリート=人通りのない道や場所での走行)

そんな中挑んだオランダの大会では、2位でした。負けず嫌いなので、すごい悔しくて。練習不足で優勝できるほど、甘いものじゃない。ちゃんと練習したいと思っていました。

高校に入ったころにできたのが、今の「山田グリーンパーク」です。最初はセクション(ジャンプ台等の構造物)が揃わず場所だけだったので、ASPOからセクションなどを移動しました。でも潰れて1年近く経ち規模も小さくなったので、あまり持っていけなくて。なので、スケーター(要確認)のみんなで、セクションを作る作業も手伝ったんです。作業服を着てビスを打って。後に多くの人が手伝ってくれて、綺麗な溶接もしてもらって、今は充実した施設になりました。

練習場所がなかった1年は、唯一本気でスケートを辞めるか悩んだ時期でした。

Q練習場所は、スポーツには欠かせないですものね。

ASPOがなかったら、きっとスケートを始めていません。ASPOには、BMX・スケートボード・インラインスケート、そして当時珍しかったクライミング施設もありました。15mぐらいのクライミングがあったから、県外からも人が集まって。いろんな種目の人と繋がりができました。

BMXの全日本選手権で優勝した大池水杜ちゃんと初めて会ったのも、ASPOでした。もう10年以上の長い付き合いですね。今世界に羽ばたいている中村輪夢選手も、幼いときにASPOで出会いました。

スポーツ選手を助ける柔道整復師に憧れて

QIPUに進学したのは何故ですか?

きっかけは、中学2年生のときの怪我です。大会中に右手親指の靭帯を断裂しちゃって。痛めた手をその場で処置してくれたのが、柔道整復師の方でした。おかげで棄権せずに滑れたんです。柔道整復師に対しての憧れが芽生えました。

インラインスケートはずっと続けたいけど、それだけで生活できている人は、日本で数名しかいません。セカンドキャリアを考えたとき頭に浮かんだのが、柔道整復師でした。
Q柔道整復師の資格が取れる学校の中でも、IPUを選んだ理由は?

3年制の専門学校が多いんですが、それではスケートと勉強の時間のバランスが難しい。また、柔道整復師以外にも取りたい資格がありました。IPUだったら柔道整復師+αにチャレンジできます。ちょっと欲張りだったんですけど、目標を叶えようと思ったら、必然的にIPUになりました。

勉強とスケートに、必死だった大学時代

Q大学生活で苦労したことは何ですか?

とにかく勉強が大変でした! 柔道整復師+αの資格を取るために必須だったのが155単位。周囲に比べて単位数が特段多いというわけではなかったのですが、スケートとの両立を考えると1つも単位を落とせない状況でした。

学費を考えると留年はできません。勉強は絶対おろそかにできない、かといってスケートでは、大会に出ない選択肢が自分の中にはありませんでした。優勝しか目指してないので、練習も欠かせません。

「平日は朝から晩まで勉強、土日はスケート」という生活を4年間続けていました。何回心が折れそうになったか。自分で選んだ道とはいえ、だいぶ追い込まれていた時期がありました。

海外遠征には最低1週間かかります。1限から6限まで授業が詰まった毎日だったので、置いていかれちゃうんです。大会前には毎回、各科目の先生に留守中の進行範囲を聞いて、相談していました。遠征中も勉強するのですが、教科書はすごく分厚いので持っていけません。受験生みたいに勉強道具を自作もしていました。

Q目を見張る努力ですね。

私が相当必死だったので、先生方も応援してくださいました。遅れを取り戻すために、個別に教えてくださったこともあります。とてもありがたかったです。

友達もサポートしてくれて。ノートを取ってくれてたり、重要なポイントはLINEで情報を送ってくれたり。スケート仲間や両親や、本当に周りに助けられた4年間でした。

両親には、金銭的にもかなりサポートしてもらいました。インラインスケートは、大会出場にかかるお金が自己負担なんですよ。国際大会に年に1~2回出ていましたが、アメリカやヨーロッパに遠征すると、最低でも30万円ほどかかります。この前の世界選手権は開催地がアルゼンチンで、コロナと円安も重なってとんでもない旅費がかかりました。金銭面がネックで日本代表を辞退する人も多かったほどです。学費も旅費もかかる申し訳なさと、何が何でも結果を残さなきゃいけないプレッシャーがありました。

体調を崩してボロボロな期間もありましたね。病気が重なって成人式にも出られませんでしたが、大会には無理やり行って。

Qきついですね。

人生の中で1番きつかったのが大学生でしたが、1番充実していました。

国家資格である柔道整復師を現役で取れて、入学時に望んでいた資格はすべて取得できました。そして、大学3年生のときに開催された第1回世界選手権で優勝。やっと公式に、世界チャンピオンの肩書きができました。

今振り返ると、死にそうな思いをしていましたけど、頑張ってよかったなと思います。普段からほめてくれる両親ですけど、4年間本当によく耐えたねって人生で1番褒めてもらえたんじゃないかな。

IPUでスケートと両立しながら働く


Q卒業後はどんなことをされていましたか?

大学4年の春から2年間、アスリート支援系の事務所に所属していました。給与はありませんが、大会出場にかかる費用を出して頂いて。卒業後の1年間はスケート1本で、「交通費を出してもらい大会に出る、少しでもギャランティーがあるショーケースに出演する」生活。ただその後、大会出場への制約などが出てしまって、事務所をやめることになりました。

同世代は社会人として働いているのに、働かずに親にお金を出してもらって大会に行くのは、どうにも自分の中で許せません。資格を活かして働き交通費ぐらいは稼げるように、とバイトを探したんですけど、難しかったんです。今が1番スケートを頑張りたい時期なのに、スケート時間を確保できる条件では、医療系や介護職系の仕事はシフトの折り合いがつかなくて。

資格を活かすのを諦めて、飲食店などでバイトしようかと考えました。そのタイミングで、大学時代の恩師、ゼミ担当だった古山先生から、「助手としてIPUで働く気はないか」と声をかけていただいたんです。

「在学中に世界チャンピオンになり国家資格も取ったのは、学生に対して道を示せるから」と。改めて、あの4年間は無駄じゃなかったと感じましたね。先生方の応援もあって今ここにいられるので、感謝しかありません。

古山先生と東さん(スポーツ科学センター インスパイアにて)

スケートと仕事を両立

Q学生時代に真面目に頑張っている姿を見てきたからこそですよね。IPUの仕事はスケートと両立できていますか?

はい。スケートを続けながら働けるように、掛け合ってくださって。IPUでは体育と教育の融合を目指しているため、学部長も学科長も学長も応援してくださっています。三浦先生も、大会前に激励する会を開いてくださいました。

周囲にも「すごくいいことだね、今までなかったよ」と言われます。大学は、世間的にも信用があるじゃないですか。そこに所属して競技を続けるのは、メジャー競技のアスリートがされている形。モデルケースになれる道で、周囲にも期待されています。IPUとしては前例がないのに、ありがたいです。

ただ、新型コロナが流行してからは大会自体がありませんでした。大学で働き始めて3年目の2022年、やっと大会に出られるようになりました。

招いていただいた先生方の期待に応えたい思いもあって、今回の世界選手権はすごく緊張しましたね。世界選手権を終えた今、1番解放されています。

アルゼンチンで行われた世界選手権で3連覇を達成した東さん。

もっと競技人口を増やしたい

Q今後のスケート業界について、やりたいことや期待はありますか?

インラインスケートは、オリンピック種目になりそうでならない状態が続いています。でもスケートボードやBMXがオリンピック種目になり、おこぼれ的に注目してもらえる機会が増えてきました。スケートを始める子供も増えています。

メジャーになるには、競技人口が欠かせません。もっともっと競技人口を増やしたくて、今スクールで毎月何度か子供たちに教えています。

Qこうなってほしいことはありますか?

アクションスポーツは、ストリートありきなんですね。ただ、日本ではストリートが受け入れられにくくて、控える動きが大きいです。ストリートを理解して認めてもらうのは、本当にハードルが高いと思っています。私もストリートが好きだからこそ、やれないのは苦しい。でも認めてもらえないからといって強行突破すると、もうストリートをプラスには捉えてもらえないと思うんです。

もう一生誰もストリートをできないか、次世代がいつかできるかを天秤にかけると、後者が絶対いい。自分が現役の間には叶わないかもしれませんが、スケーターにはストリートカルチャーは忘れて欲しくありません。

私は公式な大会に出ているので、説得力に欠けるかもしれないんですけど。ストリートありきのアグレッシブインラインスケートが、もっと広く認知され受け入れられるようになって欲しいなと思っています。

Qご自身の今後のビジョンを教えてください。

ずっと考えているんですけど、イメージが湧かなくて。上の世代を見ても、女性スケーターにはロールモデルがほとんどいません。

ちょうど空いてる世代なんです。インラインスケートが盛り上がっていたのが1990年ごろで、全盛期にはスケートボードよりも人気があったそうです。でも2000年に入ってXゲームの種目でなくなると、一気に衰退しました。私が始めたのは1番廃れている時期。全盛期に活躍されていたのは10~20歳年上の方ばかりで、間の世代がいません。

海外の選手も見ると、30歳前後が転機になっています。第一線で活躍していた人が、結婚・妊娠・出産のタイミングで引退してしまう場合が多い。

でも競技寿命は伸びているんですね。今の女性スケーターには年上の選手も多く、中には一度競技から離れていたのに40代を目前に競技復帰したレジェンドもいます。ライバルであるスペインのスケーターも現在32歳なのですが、まだまだ競技を続けるそうです。

彼女は、おそらく今1番、スケート靴メーカーで自分のシグネチャーモデルも出している勢いのある女性スケーター。インラインスケート業界は、長らく女性スケーターへの関心が薄かったんです。彼女は女性スケート界を盛り上げようとしていて、私ももうちょっと頑張りたいなと思います。

ただ、国によって競技をめぐる状況は異なります。たとえばスペインでは、今回の世界選手権に対しても連盟や国から金銭的支援があります。選手も、競技を続けるには支援が大前提、と。支援がある国では、若い世代の育ちかたも全然違って、やっぱり強い。

将来のモデルケースとして他国の人を参考にするには難しい部分もあるんですけど。せっかく競技寿命が延びているので、自分にもまだできることがあるなと。

熱い応援を受けて

Q今後も大会を目指しますか?

実は、世界選手権に出てから心境の変化がありました。今回で3回目の世界選手権でした。3連覇できようができまいが、公式大会は最後でもいいかなと思っていて。

だけど、初めてアルゼンチンに行ったんですね。そこで熱烈な歓迎を受けました。「アジアやヨーロッパのスケーターが南米に来ることがないから、すごく嬉しい。動画やSNSでずっと見てた」と言われて。過去2回の大会と比べ物にならないぐらい、観客の応援と声援がすごかったんです。写真やサインを求めて声をかけてもらう量も桁違いでした。

現地のスケーターからも「次の世界選手権までにもっと練習して、あなたとコミュニケーション取れるように英語も頑張るから、また2年後」と声をかけてもらいました。ジュニアの選手からも、私を目標にして頑張ると言ってもらえたんです。

単純なので、熱い声援やスケーターの反応を直で感じて、「もうちょっと続けようかな」という気持ちも出てきました。

2年後は28歳。メジャーな競技でも進退を考え始める年齢かなとは思います。

他国の選手が育っているのを見ると、自分が頑張って日本の若い世代を育てていかないと、とも感じます。次世代のスケーターのためにも、やめる決断をするにはちょっと早いのかな、と。

競技を続けるかはすぐには決められませんが、スケート自体は一生やるぐらいの気持ちでいます。魅力を伝えられたら嬉しいですね。

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